2021/04/20
因果応報
From 吉永信昭(よしながのぶあき)
@大分県大分市
「因果応報」という言葉があります。
これは仏教の教えを表す言葉ですが、「何か悪いことをしたらその報いを受けなくてはいけない」とか「苦しみがあるのは自分のやった悪い行いのせいだ」といった悪い結果で使われることが多いです。
実際には、良い結果でも悪い結果でも、結果の原因は全て自分が作っているということを言っています。
因果とは原因と結果のことで、どんな結果にも原因が必ずあるということです。
そして、応報とは、原因に応じた報いが現れるということです。
野菜の種を蒔くことで、野菜が育って収穫することができます。
人生に起きる出来事も蒔いた種があって、良いことや悪いことを結果として受け取るということになります。
つまりは自分の行いが自分の運命を決めていくということを仏教の教えの中で伝えているのです。
良い運命も悪い運命も、全て自分の行いに応じた結果なんだということを言っているのです。
今、自分の周りにある状況は、今までに自分の選択してきた行動の結果が表れているというわけです。
現在は過去の自分の行いの結果なので、それを受け入れることしかできません。
でも未来は違います。
未来は今の行いで決まっていくことになるので、どうにでもなります。
今まで上手くいかなかったとしても、未来も上手くいかないとは絶対に限らないのです。
未来を上手くやっていこうとするには、今、どんな幸せの種を蒔いておくかということが大切になるのです。
因果応報は、決して悪い結果のことだけを言っている教えではありません。
自分の未来の運命をよくするには、今ここで、幸せの種をしっかりと蒔いておけるのかということにつきます。
なので、できるだけ人に喜ばれることを心から楽しいと思ってやるしかないのかなと思います。
未来がどうなるのかは誰にもわかりません。
でも、今の自分がどうするのかは自分で極めることができます。
「因果応報」という言葉が示す通りに、今の自分の行いをできるだけ善いものにしておきたいものです。
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