2021/03/10
河童のいる町・田主丸
From 吉永信昭(よしながのぶあき)
@福岡県久留米市
久留米市の田主丸町はいたるところに河童がいます。
正確に言えば、町のいたるところに河童の石像、オブジェ、壁画などです。
JR田主丸駅の駅舎もデザインが河童になっていることで有名です。
町の中には小川が流れていますが、その小川にかかる橋の欄干には河童の石像があります。
町の中のたくさんの河童を探す「河童めぐりマップ」というものも作られて配布されていますが、それにはかっぱに会える25のスポットが掲載されています。
田主丸には古くから河童の伝承がいい伝えられており、河童伝説を使っての町おこしが行われているようです。
ここで、田主丸の河童伝説を簡単にご紹介します。
田主丸の河童の先祖は中央アジアから日本に移ってきました。
「九千坊」を頭目とする一隊が日本に移住してきたのです。
彼らは初めに熊本県の球磨川に住み着いていたのですが、肥後の国主・加藤清正に仕えていた小姓を河童が川へ引きずりこんで殺してしまい、激怒した加藤清正から逃れて、筑後川へと移り久留米の水天宮のお護り役になったそうです。
その後、九千坊一族は、水神様が江戸に祀られたことで、江戸へ移り住みました。
しかし、九千匹の河童たちは悪戯が止まらずに、頭目の九千坊に破門された河童たちが全国の川に散らばり、頭目の九千坊は、古巣の筑後川に帰ってきたそうです。
筑後川の支流である巨瀬川の近くに住む人たちは、人情こまやかで河童に対しても親切であったために、九千坊一族は、ここを安住の地と定めて、田主丸馬場の蛇淵を本拠として存在しているそうです。
さらに、田主丸のあけぼのやという和菓子屋さんには、河童の手のミイラが保管されているそうです。
田主丸に流れる巨瀬川には今でも河童がいそうな雰囲気があります。
いつか本物の河童と出会える日が来るかもしれないと楽しみにしています。
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