2020/12/06
関門海峡
From 吉永信昭(よしながのぶあき)
@山口県下関市
九州の北九州市門司と本州の山口県下関市を繋ぐのが関門海峡です。
関門海峡は、海峡が狭いこと、潮流の速さや向き、岩礁や暗礁も多いので、昔から海上交通の難所とされてきました。
鉄道や車で九州から本州に渡るのに関門トンネルか関門橋を当たり前のように使っていますが、海の底にトンネルを掘ったり橋をかけたりしているので考えてみればとても凄い事です。
関門トンネルや関門橋が何らかの事故で封鎖されれば、九州への影響ははかりしれません。
この関門海峡を通るたびに歴史的な出来事に思いをはせてしまいます。
まずは「壇ノ浦の戦い」です。
源氏と平家の最後の闘いになったのが「壇ノ浦の戦い」です。
源義経の八艘飛びの伝説もこの合戦でのものです。
この戦いで平家は滅亡し源氏が鎌倉に幕府を開き武家政権へと移行していきました。
この海峡を見つめると、いつも遥か昔の源平合戦のシーンを想像してしまいます。
そして「下関戦争」です。
「下関戦争」は江戸時代末期に、攘夷派の急先鋒で過激派であった長州藩が、関門海峡を通過する外国船に対して、いきなり砲撃を開始した事件です。
当然のことながら、攻撃を受けた諸外国は激怒し、艦隊で長州藩を攻撃し圧倒的な武力の前に破れる事になります。
下関戦争で大敗北した長州藩が戦争を終わらせるための講和交渉を行ったのですが、通常であれば莫大な賠償金が必要になるのですが、この戦争で、長州藩は諸外国に1円も賠償金を払っていません。
その講和交渉の場にのぞんだのが「高杉晋作」でした。
高杉晋作の交渉術によって、長州藩は英国との交渉を有利に進めて。最終的には英国から要求されていた「領地の租借」も「賠償金の支払い」も全くせずに、世界最強の大英帝国を追い払う事に成功したのです。
この「下関戦争」を境にして。長州藩は攘夷から倒幕へと方向転換していきました。
「高杉晋作」破天荒な生き方で若くして病気で亡くなったのが惜しまれますが、交渉力の有能さを物語るエピソードです。
「高杉晋作」もまた私の尊敬している偉人のひとりです。
関門海峡を通るたびに、そうした歴史のファンタジーで頭の中がいっぱいになって感慨深くなります。
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